2005年11月08日

ロハスといえば、あいつのこと?

 昨今、周囲は「ロハス」「ロハス」と言う。「これからはロハス的な生き方だ」などと・・・。
 話がかみ合わない。私にとって、「ロハス」といえば、あいつしかいない。1970年9月、J・ライト級タイトルマッチで王者・沼田義明に挑戦したラウル・ロハス(米国)である。
 小学生からボクシングを見続けてきた私は、この一戦を今も最も劇的な試合として記憶している。2ラウンドに沼田が先制のダウンを奪うが、ロハスは猛然と反撃に転じる。4ラウンドにボディーブローでダウンを奪い返し、沼田を苦しめる。5ラウンド、コーナーに詰まった沼田はダウン寸前。もうだめかと思われたとき、沼田の放った大きなアッパーがものの見事にロハスのあごをとらえ、大逆転を演じた。
 この一戦が印象的なのは、「精密機械」の異名をとった沼田が荒っぽい大技でロハスの野望を砕いたことにある。ロハスは打ち合いに持ち込み、タイトルに手が届いたと思ったのではないか。マットに崩れ落ちるロハスの姿に、ボクシングの怖さを見た。

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2005年10月19日

鬼平のクマはえらい

 幾時代かがありまして。悲しい戦争こそなかったが、ブログを離れておりました。
 さて、「鬼平犯科帳」の「本門寺暮雪」で、長谷川平蔵は危ういところを茶店の柴犬に助けられ、これをもらい受けて「クマ」と名づけ、かわいがった。クマがなぜ、平蔵の危機を救ったかというと、茶店でせんべいをもらったからなんだよね。恩を忘れなかったクマはえらい。
 平蔵はクマの鳴き声で目覚めるのが楽しみになったようだが、わが家のさくらは同じ柴犬でも、午前4時ごろから「家の中に入れろ」とほえるので困っている。まあ、この飼い主にしてこの犬、ということだろうか。
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2005年05月09日

ブルーベリーが枯れた

 庭の隅のブルーベリーが枯れた。
 毎年夏にたくさんの実をつけ、亡くなった義父は早朝に収穫するのを楽しみにしていた。
 義母が駅前の生花店で苗を買ってきたのが根付き、すくすと成長したという。
 原因として考えられるのは、覆いかぶさるように葉を繁らせていたサルスベリの枝を妻が大胆に刈り込んだ結果、急に陽光が強く当たるようになったためではないだろうか。日当たりがよくなったせいか、今年はクレマチスの花が例年になく見事に咲いている。
 ブルーベリーの異変に気付いたのは、大型連休の少し前だった。いまだに処分ができず、干からびた枝を広げたまま立ち尽くしている。なぜなら、大切にしていた義母に事実を告げるのをためらっているから。

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2005年04月21日

さくらのしつけを巡って

 柴犬さくらのしつけに関して最近、家族から非難されることが多い。
 飼い犬のしつけについて、あまり意欲を持っていない。まぁ、よほどメチャクチャをしなければイイヤ、という程度である。だから、さくらはトイレに「小」をした後、後脚でけ散らしてしまうし、社会性が身についていないので、よその犬と仲良くできない。
 しかし、このところ非難されるのは「騒げば遊び相手になってくれると思って、うるさくて仕方ない。それもこれも、お父さんが甘やかすからだ」という論旨である。
 その程度の指摘は何とも思わない。なぜなら自信があるからだ。どんな自信かというと「子供のしつけも満足にできないのだから、犬のしつけなどできるわけがない」というものである。
 
 
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2005年04月19日

吉野山の土産は風邪

 何年ぶりかで風邪らしい風邪を引いた。奈良・吉野山の桜を見に行き、冷たい雨に降られた揚げ句である。
 京都の円山公園、清水寺や奈良公園の桜見物は懸念された天候が回復傾向にあり、快適といっていいほどだった。翌日の吉野山行きが今回の旅行のメーンであっただけに「あしたは晴れて『一目千本』を満喫するぞ」と意気込んでいたのだが、朝から雨に見舞われた。それでも近鉄・吉野駅には多くの観光客が降り立ち、飲食店や土産物店が並ぶ狭い道は傘をさしてすれ違うのが大変な混雑ぶりだった。
 「下千本」から「中千本」という地区まで歩き、展望台から山あいに咲く山桜をながめた。ガスにさえぎられ、「一目百本」程度ではあったが、何とか見物することができた。しかし、雨に追われるように早めに山を下りなければならなかった。
 夜の新幹線で帰宅したところ、のどが痛いことに気付いた。翌日には声がかれ、鼻水、せきに苦しまされ、きょうに至っている。もう一度、吉野の桜見物をしたいと思う。それが何年後になろうとも。
posted by 変奇亭 at 17:49| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月25日

ハッカチョウのこと

そのかわいげのない鳥を初めて見かけたのは、今から数年前のことだった。
道路の緑地帯の植え込みの根元辺りを歩いていた。
大きさはムクドリくらい。真っ黒な体で、額の辺りの羽毛が逆立っていた。一度見たら忘れられない、何とも険悪な目つきをしていた。

その鳥を先日、再び見かけた。2羽が近所のごみ集積所をあさっていたようだ。飛び去る時、両翼に白い模様があるのが印象的だった。
HPで調べてみたところ、東南アジアに分布する「ハッカチョウ」という鳥だと分かった。
はっきりしないが、飼育下から逃げ出して繁殖している帰化鳥らしい。
こんなかわいげのない鳥が飼われたのは、鳴き声が極めて美しいという理由のようだ。

美声の持ち主で思い出したのが、群馬に住んでいた、今は亡き祖父が飼っていたオオルリのことだ。
四十年近くも前のことである。祖父が飼育許可を持っていたかどうかは不明だ。確かなのは祖父がオオルリやウグイスを極めて大切にしていたことで、普段は温厚な人だったが、家の猫が近づくと手荒く追い払っていた。オオルリは夢のように美しいブルーで、繊細な歌を聞かせてくれた。

そんな思い出と合わせて「黒い歌姫」のハッカチョウのことを考えると何となく哀れでもある。遠く日本に連れてこられて、ひょっとすると籠から逃げたのではなく、放されたのかもしれない。しかし、たくましく生き延び、横浜市内には集団塒(ねぐら)もあるそうだ。ハッカチョウのことを知ってみて、次にその姿を見るのが楽しみになった。

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2005年01月11日

歌う犬、しゃべる犬

1月2日、「新ムツゴロウのゆかいなワン様スペシャル」という長ーいタイトルの番組を見るともなく見ていると、ムツさんがニューギニア・シンギングドッグに対面していた。野性味あふれるこの犬は、その名の通り、仲間同士の連絡のために「歌う」のだそうな。しかし、何よりも驚いたのは、シンギングドッグが形もサイズも柴犬にそっくりだったことだ。違いは尻尾が巻いていないことぐらいだった。
パトカーのサイレンなどに合わせて歌う犬は時折、テレビなどで紹介される。また、最近まで流れていたCMにしゃべる柴犬が登場していた記憶がある。わが家のさくらは「しゃべる派」だ。ほったらかしにされている時間が長くなると、やおら立ち上がり、「ワオ、ワオ、ワーオ、ワオ」と最初はつぶやくように、次第に声は大きくなり、訴えているような感じになる。「ねえ、つまんないよう、かまってよ」あるいは「おやつを忘れてやしませんかってんだ。腹が減ったよう」などと。
「うるさい」と叱り付けてもしつこく続けるので仕方なく近寄ると、決まって背中を向ける。首筋から背中にかけてマッサージされるのが何よりも好きなのだ。もまれると目を閉じてウットリとした表情になる。「変な犬」と文句を言いながらマッサージをする、ひまな飼い主である。
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2004年12月27日

暮れ一人

夕刻、忘年会でにぎわう居酒屋のカウンターに一人飲む。
自然災害の多発した「災」の2004年、わが家は「病」の年だった。
私自身は秋以降、体調が思わしくない日々が続いた。自重、自重。
近所に住む妻の叔父まで昨日、交通事故に遭い、これ以上ない「ついてない年」だった。

暮れ忙(せわ)し 酒場の隅に 一人聞く
ハタハタの 炙(あぶ)り二尾なり われ一人

夏目漱石は「一人」を織り込んだ俳句を多く作った。「死」こそ人生で最も明確な事実と位置付けていたからだと思う。しかし、一人を意識すればするほど、他人の温かさが意識されるのも、また事実だろう。家族に心から感謝しつつも、また一人、酒を飲む。
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2004年12月20日

さくら4歳

image/henkitei-2004-12-20T13:48:47-1.jpg誕生日を書いてある血統書をタンスの中から出すのが面倒なので確認していないが、さくらは4歳になった(と思う)。プレゼントは真っ赤な首輪だ。
先日、公園で出会った柴の子犬は4カ月。まだ注射が済んでいないとかで近寄れなかったが、手足が太く立派な体格をしていた。さくらがわが家にやってきたころは、骨格が貧弱で、母犬から十分なカルシウムをもらえなかったんじゃないかと思われた。
最近のさくらは冬毛が厚くなったせいもあるが、なんとか柴犬らしい体形になった。煮干がすきで、バリバリ食べてきた効果もあるのかもしれない。顔もキツネのまんまの細面から若干、丸みを帯びてきた。会う人に警戒心を見せる時はピリッとした表情になり、「いい顔ですね」とほめられることもある。さくら4歳。これからも元気でいてほしい。
posted by 変奇亭 at 14:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月06日

わが家の九条問題

「九条」といっても憲法改正問題ではない。
「くじょう」すなわち九条ねぎはいかにうまいか、という極めて個人的かつ生活感まるだしの話だ。
はまったのは昨年秋。鴨川沿いの居酒屋でおでんを注文したところ、極細にきざまれた青い九条ねぎが乗っていた。その鮮烈な香りが、おでんの汁の味を一層引き立て、「京都人は、こんな所にまで心遣いをされてはる」と脳内を妙な京都弁が感動とともに駆け巡ったのであった。
九条ねぎはデパ地下の京野菜コーナーなどで入手できる。しかし、妻は絶対に買わない。「高いから」という単純な理由だ。一束3百円前後の代金を出してもうまければいいじゃないか、とする私とは生涯、平行線をたどるに違いない。
しかし、納豆に入れてよし、焼いた油揚げの上に散らしてよし、ぬたなどにすれば言うことはなく、数日以内には食べ切れる。冷蔵庫の野菜室で深谷ねぎがヨレヨレになっているのとは大違いである。結局は経済的である。おでんに乗っけたところ、子供たちも支持に回ったのは心強い限りだ。それを「高いから」などと却下するのはけしからん。と、あまり声を荒らげるのは、小さい人間と思われる懸念もあるが、ここは譲れまい。レジ袋から九条ねぎの先がのぞこうとも胸を張って歩くのだ。
posted by 変奇亭 at 17:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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